九州大学日本語文学会
 

原爆文学研究会
   


    

 未成年とは、他人の指導がなければ、自分自身の悟性を使用し得ない状態である。ところでかかる未成年状態にとどまっているのは彼自身に責めがある、というのは、この状態にある原因は、悟性が欠けているためではなく、むしろ他人の指導がなくても自分自身の悟性を敢えて使用しようとする決意と勇気欠くところにあるからである。(略)未成年でいることは、確かに気楽である。私に代って悟性をもつ書物、私に代って良心をもつ牧師、私に代って養生の仕方を判断してくれる医師などがあれば、私は敢えてみずからを労することを用いないだろう。考えてくれる人があり、また私のほうに彼の労に酬いる資力がありさえすれば、私は考えるということすら必要としないだろう、こういう厄介な仕事は、自分でするまでもなく、他人が私に代って引受けてくれるからである。(略)それだから個人としては、殆ど天性になり切っている未成年状態から、各自に抜け出すことが困難なのである。それどころか彼はこの状態に愛着をすらもっていて、いまでは自分自身の悟性を使用することが実際にできなくなっている。                
   −カント「啓蒙とは何か」篠田英雄訳−

 

 

2000331日開設 20151217日更新
九州大学大学院比較社会文化学府・研究院
日本社会文化専攻 文化構造講座

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